アイルランド旅行記〜Van Morrisonを訪ねて〜
11月14日から1週間、Van Morrison(ヴァン・モリソン)のライヴを観にはるばるアイルランドまで行って来ました。
彼の生まれ故郷、北アイルランド・ベルファストの高級ホテルで2夜連続のディナーショウ、しかもその翌週にはダブリンでアリーナ公演も——。
かねてからVan Morrisonを一度は生で観たいと思っていた僕にとって、彼の地元で、しかも全く趣の異なる2種類のライヴを続けざまに観られるまたとないチャンス。「この機会を逃すまじ!」と一念発起して実は随分前からチケットやら航空券やらを予約し、準備していたのです。
予定ではドイツ・フランクフルト乗り換えのルフトハンザ便でダブリンまで飛ぶはずが、前日にルフトハンザ航空のストが決まりフライトがキャンセル。急遽パリ乗り換えのエールフランス便に振り替えてもらったら今度はフライト当日にパリで同時多発テロが発生。搭乗する便が飛んでくれるのかわからないままとにかく空港へ向かうと、パリ行きの便は一つも欠航せずに普段通り運行しているとのこと。ちょっとビビりつつ予定通りの便に搭乗、渦中のパリ経由でこれといったトラブルもなく無事にダブリンに到着しました。その日は夜遅かったのでダブリンの空港近くの宿に一泊してから翌日「Air Coach」という高速バスでベルファストへ。
今考えると何故パリから直接ベルファストへ飛ばなかったのか・・・。どういうわけかアイルランドにはダブリン空港しか国際空港がないと調べもせずに決めつけていたのです。そもそもダブリンはアイルランド共和国、ベルファストは「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」つまりイギリス領なので国そのものが違うんですけどね。
ベルファストに到着すると、今回のディナーショーの会場となる老舗の高級ホテル「Europa Hotel(ヨーロッパ・ホテル)」にチェックイン。僕のようなバックパッカーにはちょっと高級過ぎる宿だけど、Vanのディナーショーが開催される2夜だけはここに泊まって心おきなくショーを楽しもうという算段。
ちなみにEuropa Hotelは北アイルランド紛争でしばしばテロの標的になり、「世界で最も多くの爆弾被害を受けたホテル」として知られているそう。今回もパリの同時多発テロ直後だったので知人から「アイルランド大丈夫なの?」とさかんに心配されたけど、北アイルランド問題は主としてカソリックvsプロテスタントの争いであって、ここ最近世間を賑わせているイスラム過激派とは関係ないので僕としてはさほど心配していませんでした。
さて昼過ぎにチェックインして荷物を部屋に置いたらライヴ会場となるホテルの「宴会場」へ。Vanの歌声は聴こえなかったけど、バンドがリハーサルしているのが漏れ聞こえて来た!ホテルのロビーではVanの歌詞がコンパイルされた書籍が発売されており、初版にはVan直筆のサインが入れられているとのこと。ちょっと高かったけど迷わず購入、70ポンド(約15,000円)なり。
サインといえば、もしかしたらご本人からサインをもらえるような機会があるかもしれないと思い、一応今回もアナログレコード(中身は抜いてジャケットだけ)を持参。もっとも、ファンサービス精神ゼロの気難しいアーティストとして知られるVanのことだからサイン会なんて軟派なものがあるわけないのは百も承知。それでも1%でも可能性があればレコードジャケットを持ち歩く手間を厭わないのがオートグラフハンターという生き物なのです・・・。
さて、そんなわけでこれら2枚のレコードを片手にサウンドチェック中の会場付近をウロチョロしていたらイベントスタッフとおぼしき女性から声をかけられ、しばし雑談。その中で「実はこのライヴを観るためだけに日本から来たんです」と告げるとその女性はえらく感動してくれて、なんと「絶対そのレコードにサインを入れてもらうべきじゃない!?」と言うのです。「マネージャーに掛け合ってみる!直接もらえればそれに越したことはないけど多分セキュリティが厳し過ぎてお客さんは本人に会えないと思う。でもVanの機嫌さえ良ければマネージャー経由でサインをもらうことは不可能ではないはず!」と言って、レコードを僕から半ば「かっさらって」奥へと姿を消してしまった——。
レコードを彼女に託した僕はホテルから出て少し街を散策して時間を潰し、またホテルに戻って来ると物販コーナーが準備されていたのでTシャツ等を物色。そうこうしているうちにオープンの時間になったので会場に入って自分の座席を確保しました。300人くらいの規模のディナーショー、完全予約制だけど、向こうから指定されているのはテーブルのみ。10人で囲む円卓のうち「どの部分に座るか」は早い者順に選ぶというシステム。ステージに背を向けるのはちょっと億劫なので、身体をヒネることなく正面から観られる後ろ側の席を選びました。
同じテーブルに座ったのはアイルランド南部の街Cork(コーク)から来たご夫妻とアメリカ・シカゴからやって来た弁護士ご夫妻、ダブリンから来た男性3人組、ロンドンからやって来た液状ロキソニンの特許を持つご夫妻と僕(お一人様)の計10名。見ず知らずの人とテーブルを囲んで食事をするなんてアウェイ気味の披露宴みたい・・・、でも幸いなことに同席の方が皆とても感じの良い人たちだったおかげで期せずして楽しいディナータイムに。
ちなみに今回チケットを予約するにあたり、事前に「ディナーショーへ成人男性がシングルで行くなんて場違いでしょうか?」とホテルに問い合わせ、「少人数のリラックスした雰囲気だから大丈夫だよ」という返答を一応もらっていました。全体を見渡しても1人で来ているのはかなり少数派だったけど、マァ場違いというほどではなかったかな。
ディナーショーって「食事をしながらショーを観る」というイメージかもしれないけど、大抵の場合は〆のデザートくらいのタイミングでショーがスタートするか、もしくは完全に食事が片付いてから始まるか、どちらかです。演奏中にガンガン配膳するわけにはいかないからだと思うんだけど、今回もデザート、コーヒーまで完全に行き渡ってしばらく経ってからショーがスタート。
まずは北アイルランド出身の俳優James Nesbitt(ジェイムス・ネスビット)による前説。3分くらいおしゃべりをして結構盛り上がったんだけど、かなり早口だったのと独特な訛りで何を言っているのかあまりよくわからず(泣)。前説の最後に、さきほど僕も購入した詞作集「Lit Up Inside」から詞を一編朗読してJamesが舞台から下がると、入れ替わりでバックバンドのメンバーが登場。ここ数年ライヴのオープニングナンバーとして頻繁に演奏されるインスト曲「Celtic Swing」のイントロが始まると、ほどなくしてSaxを抱えたVanが登場。いよいよショーが始まります。
01. Celtic Swing
(“Inarticulate Speech of the Heart” 1983)
02. Close Enough For Jazz
(“Too Long in Exile” 1993 / “Born to Sing: No Plan B” 2012)
03. Back on Top
(“Back on Top” 1999)
04. Days Like This
(“Days Like This” 1995)
05. Precious Time
(“Back on Top” 1999)
06. Playhouse
(“Pay the Devil” 2006)
07. Why Must I Always Explain
(“Hymns to the Silence” 1991)
08. Sometimes I Feel Like a Motherless Child
(“Poetic Champions Compose” 1987)
09. Carrying A Torch
(“Hymns to the Silence” 1991)
10. I’m Not Feeling It Anymore
(“Hymns to the Silence” 1991)
11. Baby Please Don’t Go
(Big Joe Williams Cover / Them single “Baby Please Don’t Go” 1964)
〜Parchman Farm
(Bukka White/Mose Allison Cover)
〜Don’t Start Crying Now
(Them 1964)
12. Sometimes We Cry
(“The Healing Game” 1997)
13. In The Afternoon
(“Days Like This” 1995)
14. Whenever God Shines His Light
(“Avalon Sunset” 1989)
15. Help Me
(Sonny Boy Williamson Cover)
16. Gloria
(B side of a single “Baby Please Don’t Go” 1964)
2000年代以降のVanのライヴ映像をYouTubeで観てかなり予習しておいたので前からわかってはいたことだったけど、「Moon Dance」「Caravan」「Crazy Love」「Tupelo Honey」「Domino」といった70年代の大ヒットは1曲もナシ。そしてこの日はライヴ中こんな一幕も。
——(客席から大歓声)
Van「やらないけどね。」
——(客席苦笑)
Van「その代わり、『Tupelo Honey』を書き直して出来た歌があるから今夜はそれを歌おう。『Tupelo Honey』は結局こういう歌になったんだ。」
そう言って始まったのが7曲目の「Why Must I Always Explain」。確かにメロディーもコードも「Tupelo Honey」そっくり(マァそれを言うなら「Crazy Love」も「Days Like This」も全部そうだけど・笑)。
ただし歌詞は、「Tupelo Honey」が当時の新妻Janet Planetへ捧げられたとされる甘いラヴソングなのに対し、「Why Must I Always Explain」は「これはただの仕事だ、わかるだろう?どうしていちいちお前らに説明してやらなきゃいけないんだよ」という彼のマスコミ嫌いを表したとも言われる辛辣な曲。
わざわざ「『Tupelo Honey』の代わりに」と前置きした上でそんな意地悪な歌を歌ったのは、歌詞がパーソナルな経験に基づくものであるか否か頻繁に聞かれることに対する嫌悪を表したかったのか。それともライヴでヒット曲を求めるオーディエンスに対して「いちいち説明させるな」と断じた上で「懐メロ歌手に甘んじることへの拒絶」を表明したのか——
(※追記:YouTube動画を漁っていたら、なんとこの2曲を2013年のBeacon Theatreでメドレーで演奏していた!「Tupelo Honey」歌うこともあるのか〜良いナァ)
ともあれ、辛うじて60年代のThem時代のヒットを何曲か、それと北アイルランド問題和平交渉の公式讃歌としてアイルランド人にとっては特別な意味をもつ90年代の名曲「Days Like This」を歌ってくれたのは彼なりのサービス精神の発露なのかも?
——などと推測しつつ、比較のためにディナーショー2日目のセットリストもここに掲載。
01. Allow Me
(“Poetic Champions Compose” 1987)
02. The New Symphony Sid
(“How Long Has This Been Going On” 1995)
03. Sack O’ Woe
(“How Long Has This Been Going On” 1995)
04. Think Twice Before You Go
(“You Win Again” 2000)
05. Higher Than The World
(“Inarticulate Speech of the Heart” 1983)
06. Magic Time
(“Magic Time” 2003)
07. Carrying A Torch
(“Hymns to the Silence” 1991)
08. Wild Night
(“Tupelo Honey” 1971)
09. Keep It Simple
(“Keep It Simple” 2008)
10. I’m Not Feeling It Anymore
(“Hymns to the Silence” 1991)
11. Baby Please Don’t Go
(Big Joe Williams Cover / Them single “Baby Please Don’t Go” 1964)
〜Parchman Farm
(Bukka White/Mose Allison Cover)
〜Don’t Start Crying Now
(Them 1964)
12. In The Afternoon
(“Days Like This” 1995)
13. Whenever God Shines His Light
(“Avalon Sunset” 1989)
14. Sometimes We Cry
(“The Healing Game” 1997)
15. Ballerina
(“Astral Weeks” 1968)
16. Gloria
(B side of a single “Baby Please Don’t Go” 1964)
やはり80〜90年代の曲を主体としつつも、この日はWarner Bro.第一作目となる68年の名盤”Astral Weeks”から「Ballerina」、そしてアルバム”Tupelo Honey”からも「Wild Night」と、初期ファンなら大歓喜の選曲。
もっとも「Wild Night」についてはVanの「なんかアップテンポなのやろうぜ」という一言にギタリストのDave Kearyが「Wild Nightは?」と提案、Vanが「悪くないね」と応じて始まったので、当初のセットリストには入っていなかったのかも(Dave、グッジョブ!)。
※この日はそんなステージ上のやり取りが聞こえてしまうほど近い、最前列のテーブル(!)
ちなみに2日目最大のサプライズは、些細なことだけど「Celtic Swing」でライヴが始まらなかったこと。これはかなり珍しいことな気がする。そしてGoergie Fame(ジョージィ・フェイム)との共演盤「How Long Has This Been Going on」というアルバムから2曲、「The New Symphony Sid」と「Sack O’ Woe」が演奏されたこともこのCDが大フェイバリットの僕にとってはかなり嬉しいサプライズ。
この日は実の母親(一体何歳?)も聴きに来ていたということもあってか、Van本人が非常に上機嫌な様子(James Nesbittの前説がなかった代わりに、この日はVanの母親が会場にいるという旨を伝えるアナウンスが開演前にあり客席が大いに盛り上がった)。MCではジョークも口にし、演奏においても単語をしつこく繰り返す彼独特のメロディー崩しが多く見られて、とても熱が込もっている感じ。バンドの演奏も昨日に増して素晴らしく、「I’m not Feeling It Anymore」のDave Kearyによるスライドソロ、「Whenever God Shines His Light」におけるバックアップシンガー・Dana Mastersの熱唱、ラストの「Gloria」が終わったあとのバックバンドだけによる長時間のジャム等(意地悪な見方をすれば時間稼ぎだけどね)、地元開催の2日間のイベントを締めくくるに相応しいショーでした。
ちなみにこのディナーショー、実は「Cleaning Windows」という副題がつけられていました。彼がベルファストで窓拭きのバイトをしていた時代を回想した歌の曲名。イベントの副題としてピックアップされているからには歌ってくれるんだろう——、という周囲の期待を見事に裏切り、今回のディナーショーでは2日間にわたって1度も演奏されず。なんとなくそうなるんじゃないかと予想はしていたものの、あまりにVanらしいつれない対応でただただ微苦笑するしかありません。
さてこのディナーショーの翌週に行われたダブリンの「3 Arena(スリー・アリーナ)」公演はどんな曲目が並んでいたのかというと——
01. Celtic Swing
(“Inarticulate Speech of the Heart” 1983)
02. Close Enough For Jazz
(“Too Long in Exile” 1993 / “Born to Sing: No Plan B” 2012)
03. Magic Time
(“Magic Time” 2003)
04. Days Like This
(“Days Like This” 1995)
05. Keep It Simple
(“Keep It Simple” 2008)
06. Playhouse
(“Pay the Devil” 2006)
07. Sometimes We Cry
(“The Healing Game” 1997)
08. Baby Please Don’t Go
(Big Joe Williams Cover / Them single “Baby Please Don’t Go” 1964)
〜Parchman Farm
(Bukka White/Mose Allison Cover)
〜Don’t Start Crying Now
(Them 1964)
〜Custard Pie
(出典不明)
09. In The Afternoon
(“Days Like This” 1995)
10. Talk Is Cheap
(“Down the Road” 2002)
11. I’m Not Feeling It Anymore
(“Hymns to the Silence” 1991)
12. Things I Uses To Do
(Guitar Slim Cover)
13. Why Must I Always Explain
(“Hymns to the Silence” 1991)
14. And The Healing Has Begun
(“Into the Music” 1979)
15. Whenever God Shines His Light
(“Avalon Sunset” 1989)
16. All In The Game
(“Into the Music” 1979)
17. Help Me
(Sonny Boy Williamson Cover)
18. In The Garden
(“No Guru, No Method, No Teacher” 1986)
うーん、ほぼディナーショー1日目と同じ感じだけど〆の「Gloria」がなくて一層地味なセットリストに。1万5000人の大観衆を前にしてもお構いなしといった感じで、やはり70年代のヒット曲はなし。スピリチュアル路線の最初期作品とも言えるアルバム”Into the Music”(1979年)からの曲が2曲もあり、彼の大衆におもねらない姿勢が一層強調されたようなライヴでした。(ちなみに”Into the Music”というアルバムは音楽的にはわりと朗らかなロックだけど、歌詞の内容がかなりスピリチュアル。この次の”Common One”から音楽面でもスピリチュアル路線が明確に打ち出された。)
ディナーショーでは演奏しなかった”Into the Music”からの2曲や80年代スピリチュアル路線の(僕の中での)最高傑作”No Guru, No Method, No Teacher”収録曲も聴けて選曲から言えば僕個人的に結構楽しめたんですが、この日は大きなアリーナ公演だというのに音量が極端に小さく、バンドの演奏の熱量も伝わりきらなかった印象で、正直なところ消化不良な感じが拭えず・・・。直前にディナーショーで至近距離で観ていたこともあって余計遠く感じたのかもしれないけど、それにしても音量や音圧感があまりに無さ過ぎて、アリーナ公演に通常期待されるであろう華やかさも感じられず、ただただ「距離が遠くなっただけ」という感じ。
そうはいっても序盤の「Days Like This」で自然と大合唱が沸き起こったのには本当に感動して、それだけでも来た甲斐があったなぁとしみじみ思いましたけどね。
このBlogを書くためにこうして3公演分のセットリストを書き出してみてはたと気付いたんだけど、Van Morrisonという人はそもそも60年代から2010年代の現在に至るまで毎年のように作品をリリースし続けている猛烈に「多作」なシンガーソングライターなので、キャリアの初期から現在までの膨大な楽曲数を思えばこれでもかなり満遍なく演奏してくれているんですよね(80〜90年代がちょっと多めとはいえ)。
もちろん多くの人はWarner Brothers在籍時代のレパートリーを期待するがために70年代の曲(例えば「Moon Dance」や「Crazy Love」のような大ヒット曲)が少ないと「サービス精神がない」と思ってしまいがちですが、半世紀(!)ものキャリアを持つ現役のアーティストなわけですから、これでも昔の曲をかなりやってくれていると思ってあげるべきではないかという気がしてくるのです。現在進行形で作品を作っているアーティストであれば当然、一番新しいものをお客さんに聴いて欲しいと思うでしょうから・・・。
実際”Astral Weeks”発売40周年の折にはHollywood Bowlで収録曲を全曲演奏するコンサートも行ない音源化もされています。さらによく調べてみると、最近のライヴでもごく稀に最初期の傑作「Brown Eyed Girl」やほぼジャズスタンダード化している「Moon Dance」等を歌うこともあるようで、決してリスナーに対してそっぽを向いているわけでもなさそう。ただし、お目当ての曲をその日にVanが歌ってくれるかどうかはあなたの運次第、といったところでしょうか。
ところで、ディナーショー初日にスタッフに渡したレコード、結局サインはもらえたのかって?
じゃーん!!
後から名刺をもらってびっくりしたんだけど、僕が開場前にお喋りしたイベントスタッフとおぼしき女性、なんとこの人物こそがディナーショーの総責任者だったのです。そりゃあサインももらえるわ・・・。James TaylorがCarole Kingとのリユニオンツアーで来日したときに本人に直接会ってもらった「The Section」サイン入りの”JT”に並んで僕にとって最高のお宝になりました。
そしてVan Morrison直筆サインと同じくらい嬉しかったのが、ディナーショー初日に同席になった方々が寄せ書きを添えてプレゼントしてくれたVan Morrisonの歌詞集!初日終演後みんなでパブで飲んでいたら、「僕たちからのプレゼントだよ」と言ってこの本をくれたのです。Van直筆サイン入りと、お友達の寄せ書き入りの2冊になってしまった!
今後この寄せ書きを見るたびに、今回のアイルランド旅行で観たライヴや街の風景、出会った人々、雨ばかり降っている天気のことなどをしみじみと思い出すんだろうなぁと思います。
ちなみにディナーショーとアリーナ公演の間が1週間弱空いたので、その間にベルファストやダブリン、そして南部のコークという街で観光のようなこともしました。良い写真もたくさんあるのでそれについてはまた改めて記事にしたいと思います。